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自己達成的預言
ちょっと待ってください。聖書預言の成就は自己達成的預言である...と言えるのだろうか? しかし、旧約聖書の来るべきメシア預言の本人は既に存在したと仮定しても、イエス自身は旧約聖書の預言が新約聖書で成就した張本人なのです。ですから私は一つの宗教書(新約)を用いてもう一つの宗教書(旧約)の預言を支持します。すなわち -- 新約聖書の説明と立証を確認し、旧約聖書の預言の成就を支持するのです。それでも非宗教界は聖書の預言の成就を自己達成的預言だと主張するのでしょうか? 私たちは聖書を用いて聖書を確認しなければなりません。
私は聖書に関して作成した自分のノートを見直し...聖書は一つの書であると確信しました。確かに自己達成的思考だという批判もあります。しかし聖書はお互いに関連性ある40人の執筆者が別々に記録した異なる66書から成立しているのです。もし私たちが一つ一つの記録を別々に読んでみるなら、それぞれの書は豊富な実証を含んでいることが理解できます。事実異なる66書から特有にデザインされていてる聖書自体がその“統合的働き”を通して完全性を証明しています。
客観的に分析する場合、39章から成立する旧約聖書を確認するために、27章の新約聖書の記録を用いるのは妥当です。古代の歴史的記録は別の古代の歴史的記録を用いて確認するのが一般的な歴史調査法です... 従って、同じように調査した聖書を自己達成的預言と判断することは出来ません...
私はここでもう一度思考を纏めてみました。
旧約聖書は記録と記録の間隔と、執筆者どうしの間隔に何百年の隔たりがあります。このような条件を考慮すると39巻に纏められた聖書に完全な尊厳の念を抱かないではいられません。しかし、27書の新約聖書はかなり短期間で纏められているので、熱狂的宗教家や執筆者が結束して構成したのでは? 強い結束で結ばれたこの宗教グループの正確な情報はあるのだろうか?
そう言えば、初期の学びで(パート2)非宗教的歴史家タキトゥスや他の執筆者たちが“聖書”の記録の証拠を詳細に言及しているのを覚えています...
“非宗教的立場から見た聖書”の歴史的記録を調べてみると真実が立証されているので、私は聖書の中の預言と成就が“自己達成的預言”であるとする疑惑が消沈して行くのを否めません。
詩篇22とイザヤ53ではイエスについての預言が記録されています。では新約聖書で言及しているイエスの処刑は非宗教的分野からも記録されているのでしょうか?
次を読んでください...
新約聖書の出来事の記録は、非宗教的分野からの記録が数多く発見されています。キリスト教とは無関係である記録類が、キリスト教の起源がキリストであると主張しているのは大きな発見です。キリスト教とキリストを否定したりまたは無関心な情報筋からの歴史的事実の詳細は説得力があります。裁判では係争中の問題に無関係か敵対している者が与える事実の証言は有力なのです。
いわゆる“自己達成的預言”の調査はさらにキリスト教に無関心な情報筋の調査へと進みます...
続けて調べよう!
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