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イエスの奇蹟
“イエスの奇蹟”と言う重要な課題に早急に取り掛かった感もありますが、自然の法則に逆らう(または違反する)イエスの奇蹟とは、事実我々が毎日目にする自然の営みとなんら違いがないことを証明したいのです。先天性の自然の力とは、物理と化学的領域と数学的公式と、また意志に基づく力が相互に作用し合っているか、または自然に中和し合っているかです。例えば、地面に転がっている石は、子供が腕の力を働かせて石を持ち上げ放り投げるまで引力の法則は妨害されていません。イエスが湖の上を歩いたり、水をワインに変えた証言にはこの同じ理屈が当てはまります。合理的根拠から言うと、イエスはただ私たちの知っている自然の法則の外側から御自分の意思の力を用いて四次元材料を適用したに過ぎません。
奇蹟の出来事を当然のことのように取り扱ったと思われるかも知れませんが私は事実を提示しただけです。神の存在が既定の事実であるならば“イエスの奇蹟”も当然です。奇蹟の効力とその結果が理屈に制約されたりその中に押し込められたりすることは絶対にありません – 従って神は、自然の法則に支配されている宇宙の法則に拘束されることもないのです。自然の法則は神の創造物を速やかに司る目的のために、神の支配下にあります。創造主が御自分の創造した自然の法則に閉じ込められることはありません。このような訳で、奇蹟を行なう者は“法則の外”の存在であることが理解できます。
現実に奇蹟を行なう創造主が規定の事実であるならば、福音書で説明されているイエスの奇蹟も当然であると判断できます。ある信者は聖書の奇蹟の記録が神の霊感によって書かれたと信じています。どちらにしても非宗教的分野の基準からも認められている四人の執筆者が、歴史的出来事を別々の福音書の中に提示しているのは意義深いと言えるでしょう。ですから私たちは神学または奇蹟に関する福音の全ての記録を達観したかのように簡単に否定することはできません。
極度の迫害とそれぞれの証言を守るために死をもいとわなかった誠実な福音書の執筆者たちをもう一度考えて見ましょう。前述したルカは、一般的に古代の偉大な歴史家であると判断されています。イリノイ州ホイートン大学で新約聖書と考古学担当教授を兼ねるドクター・ジョン・マクレイはこのように言いました:
リベラル(自由主義)と保守派(慎重)の両学者たちの大多数が、ルカは非常に正確な歴史家であると認めている。能弁な彼の執筆は学識と教養ある人物のものと認められ、ギリシャ語の表現力は一流で、幾度となく提示された考古学的発見も正確である。1
近代の偉大な考古学者の一人であるサー・ウイリアム・ラムズィーは上に同意してこのように言いました、“ルカは一流の歴史家である。”2
ルカの言及したイエスの生涯の記録を破棄しなければならない理由がどこにあるのでしょうか?
ではイエスの奇蹟に関して証言し記録した他の福音書の執筆者たちについてはどうなのでしょうか?
続けて読もう!
1 ジョン・マクレイ。りー・ストロボーによる、キリストの言い分。グランド・ラッピズ:ゾンダバン。1998, 129.
2 サー・ウイリアム・ラムズィー。最近発見された新約聖書の信頼性への姿勢。1915, p. 222.
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