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聖書の矛盾
ここで預言を脇に起き、聖書の原文にある矛盾と間違いをどう説明するか、に触れてみます。 もし聖書が神からの特殊な書であと言うなら、完全な情報を提供するはずの書と不完全な聖書をどのように調和させたらよいのでしょうか?
間違いと、真偽の疑わしい今日の聖書訳は私の知性の前にはだかる第一の障壁です – ですからしばらくこの問題について調べてみたいと思いました...この問題を調べ始めた頃、私はまだ良く聖書を知りませんでした。しかし、保持していた“聖書の矛盾”“リスト”を再検討しなければならない時期が来たようです...
矛盾していると思う聖書の節は、論理と理由に基づいた従来の規則によって分析するのが公平でしょう。世界のいたるところで起きている矛盾でも深く調べると度々矛盾していない場合があります。“有”と“無”は同時に保持することは出来ないように、根拠を調べ論理的に秩序立てて解答するのが“矛盾しないための規則”です。例えば、昼と夜は同じ時間と同じ場所に存在することはありません。ですから聖書の言葉がこの規則に違反するなら確かに矛盾していると判断できます。
例えば、法的審判において1人の証人は犯罪現場でジャックとサムの2人を見たと証言し、少し経ってからサムだけを見たと証言する他の証人者が現れます。だからと言って、この証言はつじつまが合わないわけではありません。法廷ではこのような証言を補足的と判断します。
聖書の疑われる真偽と矛盾の多くがこのような特徴をもっているのです。例えば、マタイの福音書は、イエスは2人の目の見えない人にと言い、マルコとルカの福音書では、イエスは1人の目の見えない人に会ったと言っています。1 マタイとマルコの福音書は、イエスが1人で祈るためにゲッセマネの園に行かれたのは3回、しかしルカの福音書では1度になっています。2 法的基準に沿って矛盾しない為の規則と証拠を鑑定するならば、上記に挙げた聖書の節は矛盾していません。
矛盾しているように見える“聖書の矛盾”は単に込み入った聖書の翻訳が原因となっています。原語の聖書(へブル語の旧約聖書、ギリシャ語の新約聖書)がこのような外見上の誤解を解析し問題を解決します。聖書以外の他の原文翻訳を再吟味するのと全く変わりません。全ての言語(特にへブル語とギリシャ語も含めて)の持つニュアンスを翻訳するには困難と同時に限界が伴い、歴史的背景の翻訳は解釈違いを引き起こす場合があります。
例えば、使徒の働き9:7では、“...同行していた人たちは、声は聞えても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。”さらに使徒の働き22:9では、“私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした”と言っています。一見してこの説明はおたがいに矛盾しているように受け取れます –- 一方では、パウロに同行している人たちは声を聞いたと言い、もう一方では、聞いていないと説明しているからです。しかし、ギリシャ語の記録を見れば問題は解決します。“両方の説明の中の“動詞‘聞く’(akouo)が違っています。使徒の働き9:7では所有格を用い、使徒の働き22:9では、対格を用いています。 言っていることを理解したと示唆しているのではなく、単に何かが聞えた、または確かに音が聞えた、が所有格を用いた文章です。しかし、聞えたという説明で、精神的動揺を説明しているのが対格を用いた方法です。上記から両者の説明は矛盾していないことが分かりました。”3 従って使徒の働き22:9で言っている、パウロの同行者は確かに声を聞いたものの; 言葉を理解することができなかったのです。
私はノートに記されたリストをひとつずつ切り捨てながら、どうしても動揺を隠せませんでした。聖書の中の取るに足りない名前や数字の違いは何千年に亘り人の手で記録される際の写本ミスです。重大視して聖書の矛盾をノートに書き出したひとつひとつの疑問も論理的に解釈できました。
私は自分自身を知的な懐疑主義者であると自称していました。しかし、疑って書き出したリストについては調査もせず、この事柄自体信用していませんでした。また不幸にも書き出した“聖書の矛盾と嫌疑”に集中するあまり、聖書の中に記されている神の奇蹟の仕組み、生命力、調和、正確な歴史、考古学的証拠、科学的洞察、非宗教的記録の裏付け、そして何百に及ぶ成就した預言を断固として拒否し続け、二重基準で生きてきた自分自身を見せ付けられたのです。
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私は一週間、調査を止めました(この件について考えることも)...
どうして良いか全く分からなかったからです...
“新しい現実”とどのように対応したらよいのだろうか...?
旧約聖書のメシアの預言とどうやって対応したらよいのか...?
次の章に進もう!
1 マタイ9:27-31; マルコ8:22-26:ルカ18:35-43。
2 マタイ26:36-46、マルコ14:32-42;ルカ22:39-46。
3 W.F.Arndt, 聖書は矛盾しているか? 13 -14。
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